いらっしゃいませ、バクです。

という欲求があります。そこで、ことばがきれいだと思う作家さんについて語ってみました。
『すいかの匂い』江國香織著
江國さんの小説を読んでいつも不思議に思うのは、どれも知っている易しい日本語のはずなのに、初めて聞いたことばのように感じることです。それでいて、どのことばも、あつらえたようにぴたりと状況に当てはまっていて、他のことばと置き換えることができないと思うこと。
「すいかの匂い」は「すいかのにおい」でも「夏の匂い」でもなく、「すいかの匂い」だ、ああ、そうだった、とまるで昔から知っていたような感覚になる。とても不思議です。
それだけに、どのことばに触れても極上の美酒を味わっているようで、うっとりしてしまうのです。お話が面白いからどんどん読んでしまうのだけれど、もっとことばを味わっていたくて、読み終わりたくないと思う。指の先まで細胞がぴちぴち喜んでいるのを感じて、幸福感で痺れます。
『姑獲鳥の夏』京極夏彦著
一見すると辞書かと見紛うページ量で、読み終わるまで時間がかかるだろうと予想する。したはずなのに、あっという間に半分ほど読んでいることに気づく。これは、好きにならずにいられないキャラクターや息詰まる展開は言わずもがなとして、水車の水が流れるような淀みのないことばの魅力のせいだと思っています。
現代より少し古風な、丁寧に流れる音の連なりが心地よくて、いつの間にか朗読してしまうこともよくあります。中禅寺秋彦の台詞を朗読すると、自分まで少し頭が良くなったような錯覚を覚えたりして。
「態と(わざと)」や「巫山戯る(ふざける)」などの普段出会わない漢字に出会えるのも、京極さんの本を読むときの楽しみのひとつです。
『たけくらべ』樋口一葉著
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の(後略)
つらつらと句点なしに語りが進む文体に最初は戸惑いましたが、どこもぶつからず、歌うように物語に導いてくれる文章にすぐ魅了されました。どこまで計算されているのでしょうか、それとも感覚なのでしょうか。ことばのリズムに乗っているうちに、やっぱり声に出したくなります。
古い時代のことばに触れると、はっとするほど美しく感じることがあります。現代で使えないのはもったいない気がしますが、刹那的な在り方だからこそ美しいのかも、とも思います。ことばは人に使われて、人に寄り添うものですから。本を通して、様々なことばに出会えるのは幸福です。
それでは、この辺で失礼します。ご訪問ありがとうございました(*^^*)